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いい おはなし                         [他人様の文章]


512: ①:2010/05/15(土) 05:03:48 ID:

私は小学生の頃から球技が好きなスポーツ少年だった。
特に5年から始めたサッカーは自分に向いていたようで、
左利きで足が速かったので杉山2世と呼ばれ、
地域でちょっと有名な存在になっていた。
(中学校内でも結構話題だった)

だが良い事はそう長く続かない。
中学2年から先発メンバーで春の大会で大活躍した私は、
秋の大会で激しいマークに受け、
後ろからタックルされて肝心の左足を痛めてしまった。
グキっという音が聞こえた後、腫上がった膝から脈を感じながら、
顧問の先生の車で病院まで運ばれる間、
一ヶ月位で試合に出れないかな?と冷静に考えていたのを今も覚えている。
痛みは忘れたが、、。

しかし事態は想定を遥かに超えていて、、、
半月板損傷の複雑骨折で普通に歩けるまで全治3ヵ月という事だった。
そしてお医者さんはサッカーについて何も言わなかった。
そのまま手術等のため入院し、2週間ほどたって松葉杖をついて
学校に復帰した時にはもうサッカー部に私の居場所はなかった。
勿論表面的には同情をしてくれたが、
私の背番号であるはずの「11」は既に別の人間が付けていた。

練習の輪に入れない。
2、3回?部の練習を見に行き自分が不要な人間であると知った私は、
部活の人間とは会いたくないと思う様になった。
もちろん頭ではスッパリ諦めるべきだと理解していた。
でも、いつか復帰できると信じていたかった。
その頃私はどんな表情だったのだろうか?
それを教えてくれる親しい友達もいなかった。

そんな時ふとある事を思いついた。
もう初冬だったが西日が強い4階の端の音楽室は、
校庭のサッカーの練習を隠れて見るのに丁度良かった。
諦めきれない私はそこから自分のいるべき場所を確認したかったのか?
今にして思えば軟弱にも自己憐憫に浸りたかっただけかもしれない。





513: ②:2010/05/15(土) 05:05:04 ID:

「誰?」引き戸を開けた私に彼女が声を掛けた。
後で知ったのだが一学年上の彼女はピアノが上手く、
音楽高校に入学するために毎日何時間も練習していたのだった。
個人レッスンに通う月水金は授業終了時から直接ピアノの先生の所に
行く五時頃まで学校の音楽室でピアノを弾かせてもらう許可を得ていたそうだ。

そんな事は全然知らなかった私は、無為に遊んでいるのは同じと思い、
彼女の問い掛けに何も答えず、サッカーの練習が見れる場所に移動し、
視線を校庭に向けた。
しばらくして諦めたのか彼女はピアノを弾きだした。

そんな事が何十回か続いた。
気まずさからなのか彼女も私も何も話さなかった。

だが、最初の頃は日が暮れると終わるサッカーの練習に合わせて
音楽室を去っていった私も、
いつの間にか校庭が暗くなっても彼女の練習終了を待って帰るようになり、
春になって日が伸びてサッカーの練習がまだ続いているのに、
彼女の練習が終わるのと同時に帰るようになっていった。

松葉杖もしなくなり自分でもサッカーの練習を見ていないで、
彼女のピアノを聞きに来ていると自覚し始めた3月、
一度も彼女とちゃんと話していない事が気になり始めた。

横目で見た彼女は如何にもお嬢様って感じだったが、
地味顔で気弱であることが容易に想像できる表情であった。
ただピアノの演奏に集中している彼女は、
柔らかく優しい顔をして、そして何より
自信に裏打ちされた演奏を心から楽しんでいる様に見えた。
輝いて見えた。
その頃咲き始めていた白木蓮の花を連想させた。

私は彼女にどう話かけるかを考え、
思春期らしい悩みを持ち始めたある日
練習時間が終わる頃に突然、彼女から話しかけてきた。

この音楽室で弾くのがその日で最後になる事、
最初は聞かれているのが嫌だったけれど、
途中からサッカーをやれなくなって辛そうな私に
どうにかして勇気を与えたいと思ってピアノを弾いていた事、
私が途中から熱心に聞いているのを嬉しく思っていた事、
自分は音楽高校に行くので多分高校は別だけど、
これからも私の成功を祈っている事、
等を取り止めとなく話した後
「最後だから、、」と言って、彼女はまたピアノに向かった。





514: ③:2010/05/15(土) 05:18:44 ID:

音楽室全体の空気の色を変えたその曲は
いつも練習してたアップテンポな曲とは違い緩やかな旋律だった。
その時は曲名が分からなかったが、、
よく知っている耳慣れた有名な曲だと思った。

私は最後になる事が明らかになった彼女の演奏を聞きなががら
何かを言い返そうかと考えていた。
が、言葉は見付らなかった。
ただ涙があふれて出そうな感触があった。

5分もしない演奏の後私は思いっきり拍手をした。
それだけだった。
「さよなら」も「ありがとう」もなし、
彼女は涙目で必死に拍手している私に、
オペラ歌手のようにスカートの両端をつまんで
おどけながら一度お辞儀して、いつものように
譜面をカバンに入れ急ぎ足で帰っていった。
その後、卒業式の時彼女を遠目に見たのが最後。

彼女が去った後クラシック音楽に興味を持ち、
彼女が練習していた曲名を記憶の限り調べた。
リストとかドビュッシーとかが
あったとおもうが詳細は忘れてしまった。
ただ最後に一度だけ弾いてくれた曲の名前は何時までも覚えていた。

そう、それは、
フレデリック・ショパン作曲 練習曲第3番ホ長調
通称、「別れの曲」


後日談、
ある音大の大学院を出た彼女はプロの伴奏ピアニストになっていた。
それを聞き、「伴奏」って所が彼女らしいと思った。
相方のソリストのリサイタルの時、楽屋へ彼女宛ての花束を贈った。
思い切って10年以上前の「思い」を裏書した名刺も一緒に、、。
縁があったんだろうか?彼女は意外にも私を覚えて居てくれた。

この4月からは嫁と二人きりになった家のリビングには
娘のために買ったアップライトピアノがある。
あまり使われなかったのだが、最近予定外の活躍をしてる。
普段は優しいのだがピアノを私に教える時の嫁は凄く厳しい。
娘が嫌がった理由が分かった。













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